村上ポンタ秀一さんの訃報が届きました。
70歳という若さもあり、驚いた方も多いのではないでしょうか。
村上ポンタ秀一さんの病気はコロナなの?と気になる方も多いと思います。
そこでこの記事では村上ポンタ秀一さんの病気や、性格・経歴・名言など気になることを調べてまとめてみました!
村上ポンタ秀一の病気はコロナ?
【村上ポンタ秀一さん死去 70歳】https://t.co/I3iUdV7wtH
日本を代表するドラム奏者の村上“ポンタ”秀一さんが9日、視床出血のため東京都内の病院で死去したことが15日、分かった。70歳。兵庫県出身。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) March 15, 2021
村上ポンタ秀一さんの病気は、流行りのコロナウイルスだったのでは?と気になる方も多いと思います。
しかし、ニュースを読む限りでは、視床出血により2月8日から入院していたとのことでした。
視床出血とは、脳出血の一つです。
脳出血の死亡率は約10%で、生存者の約70%に神経学的後遺症が残るという大きな病気です。
村上ポンタ秀一さんの場合は出血量も多かったのかもしれません。
村上ポンタ秀一の性格が悪いってホント?
村上ポンタ秀一さんの性格が悪い、という噂があるのですがそれは本当なのでしょうか?
以前ライブ公開番組でドラムの音決めの時に 「俺の音は、そんな音じゃない。それじゃ神保彰みたいな(軽い音に)なっちゃうだろー」 という発言があったそうです。
こちらに関しては、どのような経緯で話されたのかは分かりませんが、性格が悪いというよりは、正直すぎて言葉選びが率直すぎる方なのかもしれませんね…。
また昔、歯が痛くて腹が立って雇っていたローディー(スタッフ)を殴ったということもあったそうです…。
想像する感じではちょっと破天荒な方なのでしょうね。
我が道を行くという感じの方なのかもしれません。
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村上ポンタ秀一の経歴は?
村上ポンタ秀一さんの経歴についてご紹介していきますね!
中学時代に在籍していた吹奏楽部に度々指導に来ていた朝比奈隆にティンパニを勧められ、打楽器奏者の道を歩む[2]。
1972年、21歳の村上秀一は「赤い鳥」の大村憲司の音楽性に惹かれ、このバンドのドラマーのオーディションに挑戦して合格、プロデビュー[3]するとともに上京した。
この「赤い鳥」のオーデションについて、村上がNHKのトーク番組『トップランナー』で語ったところによると、オーディションは岐阜の市民会館で行われ、28人の志望者が集まり、村上の前までの7人がドラムを叩いた時にはバンドメンバーは無反応な顔つきで審査していたが、8人目の村上がドラム演奏したところバンドメンバーの顔色が変わり、「はい、皆さん、これで決まりだから気をつけて帰って下さい」と、その後に控えていた20人の志望者には演奏させず帰させた。このオーディションの際にドラム演奏させられた曲は「レット・イット・ビー」(ビートルズ)、「翼をください」(赤い鳥)他3曲だった。また、このオーディションは村上がドラムのスティックを握り始めて4日目のことだったという。
赤い鳥脱退後すぐに、エントランス(村上、大村、山村隆男(後に高水健司)を結成。赤い鳥時代に知り合った五輪真弓のバックバンドを始める。
エントランス解散後、本格的にスタジオ・ミュージシャンとして活動を始め、アニメソングから歌謡曲、演歌まで幅広いジャンルの曲のレコーディングに参加。1975年頃にバンブーに参加し、同年後半にはカミーノを結成するなどセッションミュージシャンとしても活動した。
1978年にドラムの海外修行を控えて行われた壮行コンサートの直後にヘロインの不法所持で逮捕される。出所後は再びスタジオ・ミュージシャンとして復帰。
1986年には渡辺香津美との全米ツアー、1987年には国際交流基金によるアフリカツアーを行った後、島健トリオと山羊智詞のソロプロジェクトを母体とした、ハードロックバンド「ザ・メーカーズ」を結成。1990年より、「山羊智詞&赤羽楽団」に参加するなど、活動の幅を広げている。
1998年発表の活動25周年記念アルバム『Welcome To My Life』と、2003年発表の活動30周年記念アルバム『MY PLEASURE』には、それぞれ日本を代表するアーティストがゲストとして多数参加しており、セッションドラマーとしての幅の広さを窺わせる。
2021年2月8日より視床出血により入院、3月9日に死去。享年70歳。
村上ポンタ秀一の伝説は?
1972年、21歳の村上ポンタ秀一さんは「赤い鳥」のオーディションを受けました!
当日28人志望者がいましたが、8番目に受けた村上ポンタさんが受けた瞬間、即時でポンタさんの合格が決まり、9番目以降のオーディションが行われなかったそうです!
これって本当にすごい伝説ですよね!
後世までずっと残ると思います!!
村上ポンタ秀一の名言は?
村上ポンタ秀一さんの名言をいくつか集めてみました!
「まずドラムを蹴れ。」
「キンタマに響いてこないよな。」
「ジャズはヤクザ!(笑)だから俺出来るんだよ。」
「ドラムたたくのがドラマーじゃねぇんだよ」
「音楽っていうのは、全部を聞いて楽しむものなんだ」
「ドラムがめげたらバンドがめげるからな…」
「楽器にかぎらず服やレコード、食い物もそう。嗜好品に投資できないようなやつに、他人を感動させる音楽なんて作れるわけがない。これは確信だな。」
若干下ネタ系もありますが、個人的には「ドラムたたくのがドラマーじゃねぇんだよ」が一番名言だと思います!
様々なジャンルで様々なドラムをできる村上ポンタ秀一さんだからこそ言える名言ですね!
深みのある言葉で納得させられますね!!
では、最後までお読みいただきありがとうございました!
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